楊貴妃は、原名:楊玉環、中国陝西省出身です。音楽、歌、踊りにも長じた傾国の美女です。唐の皇帝、玄宗の十八番目の息子の妃妻でしたが、玄宗皇帝に見染められ、宮廷の女官になりました。後の天宝四年(745年)、貴妃に封じられました。三十八歳の若さで死んだ楊貴妃は中国古代の「美人」と称されています。
楊貴妃墓は、楊貴妃の衣装を入れた墓です。咸陽市興平県馬崽鎮の西側から500メートルに位置し、西安から60キロメートル離れています。玄宗皇帝が寵愛した貴妃の墓として、1200年も経ちました。現在は陝西省の文物保護単位で、中国AA級の観光地です。墓は半球状を呈し、3メートルの高さで、青レンガで積まれています。後ろに高さ6メートルの楊貴妃の大理石塑像があります。歴代の文人が玄宗皇帝とのラブストーリをたくさん書き、楊貴妃墓は世の中によく知られるようになりました。
台形の楊貴妃墓園は山に寄り掛かり、気迫があります。園内には唐献殿、青レンガ墓があり、両側には唐の文人たちが書き付けた詩の石刻32基、300以上の詩が含まれています。園内には勝景園、太真閣、望都亭、観音殿など、唐の時代を真似して建てられた建築もあります。そして、ボタン園や桃花園、観魚池などもそれぞれ分布しています。