興教寺
興教寺は護国興教寺とも呼ばれ、唐代の樊川八大寺院の一つとしても知られています。西安から東南約25km離れた長安県杜曲镇の少陵原に位置しています。西暦664年唐の有名な翻訳家、旅行家である三蔵法師玄奘が入寂した時、東郊外の白鹿原に葬られました。669年(総章2年)に遺骨は、白鹿原から樊川の風栖原に改葬され、唐の第3代皇帝・高宗李治により、この寺が創建されました。墓塔の扁額に唐粛宗が「興教」という題字を書いたので、興教寺と名づけられました。
唐末、興教寺は戦乱で焼失してしまい、玄奘と二人の高弟(窺基と円測)の舎利塔しか残されませんでした。今日の大雄宝殿や蔵経楼などの建築物は、中華民國の頃に再建されたものです。
興教寺は北側にあり、南向きです。遠く終南山を眺望すると、峰々が連綿とどこまでも続き、景色が美しく仏教関係者たちにとり、玄奘の遺跡を仰ぎ見る絶好の観光地です。今日、寺には玄奘舎利塔をはじめ、大雄宝殿、法堂、蔵経楼、慈恩塔院などの伽藍があります。
大雄宝殿は山門と向き合い、中には明代の金銅仏像と、ミャンマーから贈れられた白玉仏が祀られています。そして、壁には宗教のストーリを題材とする絵もあります。宝殿の後ろは「講経堂」です。
蔵経楼は東跨院にあり、二階建てです。一階には玄奘法師の肖像画や真筆、また周恩来総理とネルー首相(インドの初代首相)が、玄奘舎利塔を仰ぎ見ていた時の記念写真などが展示されています。二階には仏教の経典である大蔵経など数千冊の経書や、パーリ語で書かれた『貝多羅葉経』などが保存されています。西跨院は慈恩塔ともいい、遺骨が埋葬されている玄奘舎利塔と玄奘の高弟の窺基と円測の墓塔が建てられています。玄奘舎利塔は高さ約21m、底辺の長さ約5.2mで、5層の正方形の墓塔です。墓塔は厳かな楼閣式の建物で、この建築スタイル初期の代表的なものです。その左右は弟子の窺基と円測の墓塔が並び建っています。