漢中市は陝西省西南部にあり、北は秦嶺山脈が聳え、南は巴山があり、中部は漢江の恵みで豊かな漢中盆地です。漢中は漢王室を興した高祖劉邦(りゅうほう)が漢中王(かんちゅうおう)となって力を秘めた地であり、劉備(りゅうび)もまた漢中王を宣言して初めて蜀全域を掌握したゆかりの地です。また、漢中市勉県地区は諸葛孔明(しょかつこうめい)の眠る地でもあります。
三国時期、魏と蜀の争いで漢中は曹操が劉備を攻めて、蜀を滅びして呉を併合する目標です。また、劉備が北伐し曹魏を進撃する軍事基地です。魏と蜀の勢力がここで激にぶつかって、それで『三国演義』に描かれた将軍黄忠が定軍山で刀を振り上げ夏侯淵を切り、趙雲が漢水の浜で曹軍に大敗した場面があります。また、曹操が褒谷口で楊修を殺し、馬岱が虎頭橋で魏延を切ったという悲劇が伝えっています。特に知恵の化身である名将諸葛孔明が漢中で最も心を注ぐ月日を送りました。劉備を補佐するために孔明が漢中に8年間駐屯し、六回に祁山に出兵し曹魏を攻めて、結果漢中勉県の定軍山に葬られました。
漢中の三国遺跡
漢中で旅行し、観光客が武侯墓、武侯祠、定軍山古戦場、天蕩山古戦場、古陽平関、馬超墓祠、劉備が漢中王として即位し祭ったところ、諸葛亮読書台、張魯城遺跡、諸葛亮の「木牛流馬」をつくるところなど古くから有名な三国遺跡を観光して、三国時期の重々しい歴史文化を思い切り味わうことができます。
武侯祠
漢中勉県城西108国道のあたりにあります。中国国家AAA景区と認められ、公元263年に建てられたのです。全国で一番早く、唯一な皇帝が証書を下されて建てられる武侯祠ですが、そのゆえに「天下第一武侯祠」という美称を与えられます。もっと見る
馬超墓祠
漢中勉県城西2キロのところにあり、三国蜀漢「五虎将」の一人―馬超の墓と記念祠です。墓は漢制の「覆斗型」(逆に置く漏斗のような形)で、高さが8メートル、周囲90メートルです。古建築十軒ほどがあります。
劉備が漢中王として即位し祭ったところ
公元219年、劉備が陽平関から漢水を渡って、曹操に勝ったから、漢中を占拠しました。7月、臣下の上奏を受け、劉備が天を祭って漢中王と称し勉陽で即位しました。