桂林は天下の絶景で名を馳せるだけでなく、二千年以上の歴史を持つ文化的拠点です。桂林の洞窟には、3万年前に桂林の先住民が描いた壁画が残されています。文明が生まれてからは、秦の始皇帝がこの地に霊渠(運河)を掘り、五嶺の険しい道は平坦になりました。中原の文明が漓江に沿って伝わり、百越の文化と融合して、二千年の長い年月の中で、この地の山水のように輝かしい桂林歴史文化は生まれました。
秦時代に、桂林、象、南海と3つの郡を置きました。
桂林の歴史は悠久です。早くも夏商周の時期には、百越がこの地に住んでいました。秦の始皇帝は、中国統一後、桂林、象、南海と3つの郡を置きました。このことが、「桂林」という名の起源とされていますが、桂林郡の位置は、現在の桂林市とは同じではありませんでした。漢元鼎6年(111年)に始安県が設置され、荊州臨稜郡に属しました。甘露元年(269年)始安郡始安県が置かれてはじめて現在の桂林の町が形成されました。明、清代には広西省桂林府、中華民国では広西省に属していました。
1914年に桂林県と改名し、1940年に始めて桂林市になりました。1944年11月から1945年7月28日まで日本の占領下にありましたが、回復後には広西省の直轄市となりました。
広西省の省会でした
長期にわたって、広西省の行政的中心(省会)として機能し、1949年11月22日の解放後、広西省の管轄する市となり、1958年に広西チワン族自治区桂林市と名称が変わりました。1981年と1983年に陽朔と臨桂が順に桂林市の管轄となりました。1982年には桂林は、国務院に選ばれた、第一陣の24の国家歴史文化名城のひとつになりました。1998年桂林市と周辺の桂林地区が合併し、現在の新しい桂林市となりました。