漢方医学の起源は早く、戦国から秦漢時代にかけて書かれた『黄帝内経』ですでに漢方医学の理論体系は形成されていました。東漢末期、張仲景によって書かれた『傷寒雑病論』の中で弁証法的な治療法は漢方医学の原則だとされ、それ以来、漢方医学の理論や実践はどんどん発展していきました。漢方医学では当時、医者は食医(栄養士)、疾医(内科医)、疡医(外科医)、獣医に分類されていました。
明の時代になると、太医院(当時の支配グループ専用の医療組織)は大方脈(内科)、傷寒(発熱する病気に関する)、婦人、小方脈(小児科)、口歯、咽喉、眼など13の科を設置しました。
近代には西洋医学が入ってきたり、旧政府が漢方医学を差別視して排斥したりしたので漢方医学はあまり発展しませんでした。中華人民共和国が成立後、漢方医学はようやく順調に発展してゆきました。
1950年代から中国全土で漢方医院が設置されたり漢方医学の大学が創立したりするなど西洋医学と東洋医学を融合して漢方医学を発展していこうと提唱されました。1980年代になって漢方医学の現代化をさらに打ち出し理論や方法を含んだ現代科学の方法も用いて発展していきました。
『黄帝内経』、『難経』、『傷寒雑病論』、『神農本草経』は漢方医学の四大経典とされています。
春秋戦国時代に書かれ、人間の生理学、病理学、診断学、治療原則、薬物学を研究する医学書です。理論的に漢方医学の「陰陽五行学説」、「脈象学説」、「蔵象学説」などを確立しています。『霊枢』や『素問』の二部に分けられています。黄帝、岐伯、雷公の対話形式で病気の原因・過程に関する根拠が説明されていて、さらには病気の予防、養生、摂生、長寿についても書かれています。
東漢時代、張仲景によって書かれたもので伝染病や内科的難病が主な内容です。これは漢方医学の内科の書として医学の基礎を固めています。
『黄帝八十一難』とも言われ、『黄帝内経』の中で問われた問いに対する答えが書かれています。仮説を立て、問答を行い難問に答えるといったスタイルを採用しています。中国古代の医学者にとって医学理論を探求し、自分の意見を述べることのできる本です。
東漢時代に書かれたこの書は中国で最初に書かれた薬物学に関するものです。365種類の薬物について、それぞれの産地や性質、採れる時期、ほかの薬物との相性を詳しく説明しています。
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