西寧は有名な西蔵高原の古都です。十六国時代に南涼国の首都になったこともあり﹑すでに2100年余りの歴史を持ちます。今日まで続いている河湟文化は、人々に神秘的なものを感じさせます。西寧は黄河の上流地区では最大な都市である同時に、また西北地区の有名な歴史的名城でもあります。古代、この地区は西域への要路で﹑河西回廊の一部である「シルクロ—ドの南道」でした。高い山々に囲まれ﹑南北の二つの禅寺が山の頂上にあり、西寧の街全体を見下ろしています。南北から二つの川がここで合流して湟水河になり﹑市内を横切っています。
秦漢以降は﹑羌民族の勢力がだんだん強くなってきました。東漢の建安年間﹑全城郡(郡:古代行政区画の一つ)の西に西平郡が設けられ﹑役所は西都県でした。西都県というのは現在の西寧の前身です。随唐時代、西都県は中国中部と西部の交通路で重要な地位を占めていました。史料によると﹑唐時代の初め﹑吐蕃(チベットの王国)に通じる道路を新しく切り開きました。その道路は西寧を出発点としていました。当時﹑文成皇女と劉元鼎様はこの道路からチベットに入りました。文成皇女はまた日月山でしばらく留まったことがあります。
西寧という名前が正式に付けられたのは元代の初めです。当時﹑西寧州を設け﹑甘肃行省に属していました。元の軍隊の侵入に伴って﹑中亜人と西域人もここに転居して﹑西寧は、だんだんと多民族が居住する都市になりました。明洪武19年(1386年)﹑宋元時代の古い街の半分を利用して、湟水河に沿って新しい都市が建てられました。明清時代、西寧城の孔子廟が修築され﹑文化や教育が段々と発展してきました。辛亥革命以後﹑西寧は馬麟と馬歩芳などの軍閥の統治の中心になりました。1928年﹑西寧などの七つの県を基礎に青海省が設けられ﹑西寧は省会とされました。
昔の辺鄙な高原古都は、いま発展の気運に満ちている現代都市になりました。西寧は日進月歩をとげ﹑その姿は近代的な都市に変わりました。