明永氷河は、中国雲南省シャングリラ(迪慶チベット族自治州)の徳欽県、梅里雪山の主峰カワカブの谷間を走る大氷河で、雲南一の氷河とされています。明永氷河はチベット語で「明永恰」と言い、「明永」は麓の村の名前で火鉢の意味です。高い山々に囲まれた暖かい村に由来し、「恰」は溶け水を意味します。
明永氷河は日本の奄美大島とほぼ同じ緯度で、標高2,800mという低緯度、低地にあるモンスーン海洋性の氷河として有名です。インド洋から来た湿った暖かい気流が毎年大量の降雨をもたらすため、夏に氷河が大量に溶け出しますが、冬になると回復します。氷河は標高5500mの所から標高2800mの森林地帯まで延び、終端部は瀾滄江(メコン川の源流)まで僅か800m、さながら銀の龍が横たわっている様は壮観です。豊かな緑と鬱蒼とした森林のすぐ間近まで氷河が迫るこの世界で稀に見る奇観は、麗江観光の最も人気のトレッキングコースの一つです。
氷河を登ると、至るところに氷でできた橋、氷筍(ひょうじゅん)、氷柱(つらら)、氷の洞窟などが目に入ってきて、別世界を思わせる幻想的な景色となります。太陽に照らされると、気温が上がり、無数の巨大な氷の塊が溶けて崩れ落ち、氷河の崩壊音が谷を震わせます。地元では「平安な繁栄の時代なら氷河は冬に消え夏に回復する」との言い伝えがあり、科学的根拠はありませんが、神聖なる水として尊ばれています。
氷河の麓から谷へ進むと、森は次第に深くなり、霊峰カワカブに向って木々に巻きつけたタルチョ(チベット仏教に欠かせない五色の経文布)が風に揺れます。途中、太子廟(標高2950m)という休憩場があります。太子廟は「帰堆寺」(蓮花寺とも)と「帰美寺」からなり、文化大革命の際に破壊されました。2001年に「帰堆寺」は修復されましたが、完全には元の姿には戻っていません。考証によれば「帰堆寺」は元太宗の時代(1233年)に、「帰美寺」は清乾隆の時代(1736-1796)に創建されたと言われています。
1998年7月18日、明永村の村人が標高3800mの所から雪に埋もれた10遺体とテント、遺品を発見しました。派遣された調査チームの現場検証の結果、1991年の1月3日に雪崩による遭難された日中合同学術登山隊17名(日本側11名、中国6名)の遺体またはその一部と判明しました。8年の年月をかけて、山麓を流下する氷河の流れにより、遭難地点である第3キャンプから4キロ離れた所から遺体が発見されたことも聖なる山を感じさせます。
明永氷河の北側の少し高い場所に「斯恰」氷河があり、遠くから眺めると二匹の龍が遊んでいるように見えます。「斯恰」は「斯農(すのん)氷河」とも言われ、梅里雪山の見逃せない観光スポットとなっています。