茅山
茅山は、江蘇省の南西部にあり、面積は50平方キロメートルを超えています。中国における道教の名山の一つであり、道教の上清派が生まれた地でもあることから、道家からは「上清宗壇」とも呼ばれています。また、「第一福地、第八洞天」と称賛されています。
茅山は、江蘇省の大きな山脈の一つで、曲折が多く、「己」という字の形になっていることから、「曲山」という別称を持っています。西漢年代、茅盈、茅固と茅衷という名の三兄弟がいました。彼らは曲山で、道教の修行を積みながら善行をし、人々を助けました。後人は、彼らの功を記念するため、曲山を「三茅山」と名づけ、「茅山」という略称が広く知られるようになりました。
三清山
三清山は江西上饒の東北部に位置し、昔から「天下第一の仙峰であり、ほかならぬ福地」と称賛されています。主峰の玉京峰は海抜1816.9mです。玉京、玉華と玉虚の3つの峰が三清(つまり玉清、上清、太清)に聳えていることから名付けられました。三清山は14億年もわたる地質活動を経て、風雨の浸食によって、今のように世に並ぶものがない花崗石の峰林地形になったのです。
三清山は美しい山岳地形で名を広く知られていますが、独特な道教の寺院などの観光名所もたくさんあります。すでに周遊できる峰は48あり、奇怪な岩は52ヶ所です。また、名勝は500ヶ所を超えています。
三清山は昔から歴代道家にとって修行の場です。唐僖宗の時代(873~888年)、信州太守の王鉴は三清山の北麓にきた際、その山紫水明、景色清幽にものすごく感動し、ついに官職を辞し、家族を連れここに隠居することにしました。
三清山風景区には「東険、西奇、南絶、北秀」といわれ、豊富な資源と多数の名所があります。古代の名家、王安石や朱熹、蘇東坡なども三清山に足跡を残しています。
鶴鳴山
四川省大邑県に位置している鶴鳴山は、古剣四大名山の1つで、鶴の形をしていることに因んで名づけられました。東漢時代、張道陵はここで修行を積み、仙道に入り、さらに「五斗米道」を設立したと伝えられています。その後、「五斗米道」が中国道教の主流の「正一道教」に発展していったので、鶴鳴山は漢代天師道の発祥地と言われています。北宋時代の陳希夷、明代の張三豊など歴代の有名な道士は、ここで修行を積みました。
山の中に、太清宮、延祥観、鶴鳴観など名高い道観が数多くあります。東漢時代、紫陽、太清、天師などの建築は、時の流れを経るにつれて、廃棄された建物もあります。明代嘉靖時、政府側は道教を大いに宣伝し、現存していた建築を基に増築したり、新しい道観を建てたりしました。新たな楼閣と美しい庭園を誇り、鶴鳴山は、一時大きく雄大な規模の道教聖地になりました。明代末期の戦争により、一部分の建築が破壊されましたが、20世紀60年代に至っては、太清宮、文昌宮、解元亭、三官廟、八卦亭などの建築は残存されています。
崂山
崂山は古くから、「牢山」、「労山」あるいは「鰲山」など、史書によって様々な名前で呼ばれていました。崂山は山東半島の主な山脈で、主峰の名前は「巨峰」或いは「崂頂」と言います。崂山は海抜1132.7mで、中国海岸線で一番高い峰でもあることから、「海上第一名山」という別称も持っています。黄海の浜に聳えており、海から突き出たようにそびえる崂山は、険しく雄々しく「山海奇観」と呼ばれています。
中国の沿海部では唯一1000m以上の山で、別名「近海名山」とも呼ばれています。山、林、泉、滝などの自然と共に文化、宗教的な歴史もあることにより、全国でも知名度の高い観光地となっています。崂山に沿った海岸線は87kmに渡り、島は合計18個あります。また、崂山は我が国の有名な道教名山の一つであります。昔、最も盛んな明代には「九宫八観七十二庵」もあり、山全体に道士が1000人以上いました。著名な道教の道士、丘長春、张三豊もここで修行を積んだそうです。しかし、ほぼすべての道教寺院が壊され、現在残されているなかで、一番規模が大きく、歴史が長いのは太清宫です。
羅浮山
羅浮山は道教の聖地として中国十大名山の一つに数えられています。歴史家の司馬遷はを「粤岳」と喩えたことがあることから、「岭南第一名山」という美称もあります。広州の東90キロに位置する羅浮山は、岭南の「旅行&レジャーの廊下」と言われる地区の中心にあり、「広州→香港→恵州」という旅行のゴールデントライアングルを構成する風景明媚で代表的な所です。
羅浮山は、西は進歩した都市群(広州、仏山や南番順など)と繋がり、南部は東莞、シンセン、マカオや香港などに隣接しています。計画された風景区面積は260平方キロメートルあります。主峰飛雲頂は海抜1296m、ほかに400以上の峰があります。また、滝は980ヶ所を超え、洞天奇景は18カ所、石室は72個あります。羅浮山は風景が素晴らしいだけでなく、文化的にも繁栄しているので、年間百万を超える旅行者が尋ねてきます。さらに羅浮山は最近、第五回「国家重点風景名所」に認定され、より良い発展に向かう重要な一歩を踏み出しました。
羅浮山の名所の中でも見逃してはいけないのは朱明洞です。朱明洞は1600年以上の歴史を持っており、全国十大古代観光地の一つです。
玉屏山
玉屏山は、かつて「雲占山」と呼ばれ、四川省洪雅県から西南30キロのところにあり、全長11キロメートルで海抜1382メートルです。山全体の形が屏に似ていることから、「玉屏山」と名付けられました。
玉屏山には人によって丁寧に管理された人口森林があります。柳杉林は、見渡す限り、果てがないほどまっすぐ植えられ、夏は涼しく、理想的な避暑地となっています。
東側には「聴泉閣」があり、その様式は古風でかつ素朴であり、絵に描いたように美しさです。中国民族建築の特徴を持っており、また、閣の中には、「泉出林間飛白練、云深山岫漫藍天」という対句が飾られています。朝は日光を浴び、夜は家々の灯火が見えます。左側に行けば名山飛仙閣が見えます。そこには銀色の瀑布があり、高さ150メートルほどの岩から、かつてはすごい勢いで水が流れ落ちていました。現在では、その水勢は発電に利用されているため、普段はわずかな水流ですが、大雨の日になると昔と変わらない勢いで落ちてきます。
西側には「静思亭」という建物があり、とても麗しいです。雲が纏わり、柏木岡の滝が流れます。また、玉屏山には明代に建てられた摩岩造像が39の棚に57尊あり、流れるような輪郭が特徴的です。
崆峒山
道教の典籍によると、道教元祖老子の前身は崆峒山で修行を積む広成子です。それゆえに、崆峒山は「天下道教第一山」と称しても過言ではありません。秦漢時代、崆峒山に隠居をした道士がいたとか、魏晋時代、道教の寺院が建てられたとか、明代に至っては、有名な道士張三豊が崆峒山を最後の居場所として隠居していたなど、いろいろ伝説が伝わっています。明朝嘉靖初年、朱元璋第二十子の朱松の子孫は、崆峒山に太和宮など道教の寺院を沢山建てました。さらに、全真竜門派第十代住職の苗清陽を誘い、崆峒山住職を任命しました。これを機に、道教は崆峒山に代々伝わることになりました。
仏教も崆峒山に1500年の歴史を持っています。唐の時代、仏教活動は盛んに行われていました。元の時代、安西王は仏教を信仰するため、自ら指揮して崆峒山東台宝慶寺を建てました。大臣の商挺を宝慶寺の住職として任命し、陝西、四川、西夏など省の仏教事務を管理統括させました。明の時代、中台凌空塔が建てられました。明神宗皇帝は崆峒山真乗寺に横額を下賜し、皇太后は崆峒山仏教に3万冊余りの経典を賜ったことがあります。清朝初年、仏教寺院は崆峒山に19箇所に及びました。現在、崆峒山には道教と仏教が共存し、二つの宗教の調和が取れているので、崆峒山は他の名山と違った独特の感じが味わえます。
閣皂山
閣皂山は江西省樟樹市の南東から20キロ離れたところ、贛江(かんこう)の東岸に位置し、200キロにわたり延々と続いています。山の形は楼閣に似ていて、色は皂(黒、茂った森で黒く見える)なのでこの名が付きました。伝説によると、名高い道士の葛玄がここで修業して悟りを啓いた後、8年をかけて仙薬を作り、飲んで仙人になったそうです。葛玄のことで山は道教の聖地となり、多くの道教関係者はここに集まり、宋「閣皂山景徳観記」によると、最盛期には山に建物1500余りが建てられ、道士500名が修業していたといいます。
閣皂山は大小百を超す峰々からなり、道教史跡は密集しております。駱駝峰は葛玄が仙薬を作った場所、太極峰は天女が髪を整えるところ、西坑掛壁峰は道教開祖張道陵が修業した場所、天師壇が設けられています。凌雲峰の崖に「鳴水橋」という名の石橋が架けられ、北宋政和元年(1111年)の創建で800年余りも風雪を耐えてきたものです。
閣皂山は道教「霊宝派」の総本山で、龍虎山、茅山と肩を並べます。南宋の初代皇帝である宋高宗より「天下第三十三福地」の誉を賜りながらも、元代以降寺院は廃れ、清代には建築物の基礎部分8ヶ所しか残っておりませんでした。1990年に樟樹市政府が大万寿祟真宮、山門、接仙橋、鳴水亭、放生池、百草園、道徳宮(紫陽書院)など、道教史跡19ヶ所を修復?再建し、山を甦らせました。現在は毎年数万の観光客、信者たちがここを訪れ、山に活気が戻りつつあります。
泰山
泰山は山東省泰安県、歴城県と長清県の間に位置し、古くは岱山や岱宗と呼ばれ、春秋時代に泰山という名に変えられました。中国の東部に位置するので,東岳とも称されます。総面積が約 400平方キロメートルで、主峰の海拔は1545メートルです。山頂からの景色は雄壮で、名勝と遺跡がたくさんあります。中国名山の第一位で、聖山五岳の一つです。また「五岳の長」、「五岳独尊」という美誉を持ちます。古代では歴代の帝王が封禅大典や天地の祭祀などの宗教活動を行う重要な場所の一つとされていました。夏、商、周三代の七十二名の君主はここで祈りと祭祀をしたということです。史料の記載によると、秦始皇が公元前219年に泰山に登って封禅したこと以来、秦二世胡亥、西漢武帝劉徹、東汉興武帝劉秀、安帝劉祐、唐高宗李治、唐玄宗李隆基、宋真宗赵恒、清聖祖玄烨がみな泰山に登り封禅をしました。
道教は泰山を「群山の祖、五岳の宗、天地の神、神霊の府」と認め、「第二小洞天」と呼び、その神を東岳天斉仁聖帝と尊称しました。文物と遺跡が山の至る所にあり、岱庙、天贶殿壁画、銅亭、鉄塔、王母池、紅門宮、斗姆宮、南天門、碧霞祠、経石峪、秦漢石刻、唐宋摩崖などは著名です。名勝景観も全山に分布し、主に竜潭水库、虎山水库、大衆橋、柏洞、中天門、雲歩橋、望人松、対松山、仙人橋、瞻鲁台、観日峰、扇子崖、傲来峰、黒竜潭、竜潭飛瀑、石坞松涛、岱顶の「旭日東升」、「晚霞夕照」、「黄河金帯」、「雲海玉盘」という四つの奇観などがあり、その内、王母池、碧霞祠、玉皇観、斗姆宮、万仙橋などが道教の著名な建築とされています。特に碧霞祠は有名で、現在、全国道教の重点宮観と認定されています。泰山は中国の山岳パークの一つだけでなく、東方天然の歴史、芸術、文化の博物馆で、それと同時に道教の「洞天福地」なのです。
華山
華山は、中国の著名な五岳の西岳で,陕西省華阴市の南部に位置し、5000メートルの広さです。秦嶺の東段に属します。『水経注』には、「遠而望之若花状」、「西方為華山,少阴用事,万物生華,故曰華」という記述があるので、「華山」と呼ばれます。
華山は主に南峰(落雁)、東峰(朝陽)、西峰(莲花)、中峰(玉女)、北峰(雲台)の5峰からなり、その中主峰落雁、朝陽、莲花は高く险しく、神技があるようにそびえ立っています。南峰は一番高い峰だけでなく、五岳の中では最高の峰です。顶上に登り群山を見下ろし、山々が重なり合ってそばだち、勢いがあります。ここに「仰天池」と呼ばれる池があり、一年中澄みきっていて涸れません。玉女と雲台はほかの峰に比べて高くはないですが、それぞれの特色があります。
风光明媚な華山は、中国の著名な景勝地だけではなく、道教の有名な「洞天福地」です。華山には奇妙な石がたくさんあり、岩洞が全山に分布し、『雲笈七签?洞天福地記』によると、華山西玄洞は、三元极真洞天とも呼ばれ、十大洞天の第四洞天とされています。華山洞は、太极総仙洞天とも呼ばれ、三十六小洞天の第四洞天とされ、他に莲花洞、玉皇洞、太上洞、賀老洞、迎陽洞、希夷洞などがあるということです。
古くから道教教徒は華山での修行に憧れていました。歴代の著名な道士、隐士の修行の遗跡と文物が山の至る所にあり、彼らに関する伝説と物語は、今日(こんにち)まで当地に伝わっています。道教が形成する前、その前身「方仙道」、「黄老道」の时期に、すでにたくさんの著名な神仙家達が華山に定住して修道しました。
唐代は道教の盛んな時期で、唐高祖、唐太宗などが華山に登り拝礼をしました。唐睿宗の娘金仙王女は華山で修道し、唐玄宗が王女の為に仙姑観、白雲宮を建てました。
宋代、陳抟と華山の関わりは、華山で道教史上一層際立った存在になりました。陈抟は道教の学者で、道教の祖師とも言い、その思想が後世の道教に大きな影響をもたらし、道教史で重要な地位を占めます。金元時、王重陽は全真道派を創建しました。全真派が興った時点で、華山は全真道場になりました。
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