四大仏教名山
中国四大仏教名山は山西省の五台山、浙江省の普陀山、四川省の峨眉山と安徽省の九華山を指しています。それぞれ文殊、観音、普賢、地蔵菩薩の霊場として広く知られ、歴史的、宗教的観光名所となっています。四大名山が聖地とされた起源は、漢代以前に遡ります。仏教の伝来に伴い、各山では大量の寺や廟が造られ、 建立(こんりゅう)は清の末まで続いたと言われています。中国成立後、これらの建物は文化財として保護、修繕され、現在は観光客や市民を迎える顔となっています。
五台山
五台山は山西省五台県にあり、文殊菩薩の霊場、中国仏教第一の聖地とされています。最盛期には寺院など300宇余りありましたが、その殆どが廃れて現在は内寺39宇、外寺8宇のみ残っています。残された寺院は、修繕を重ねいっそう華美且つ雄大、荘厳になっています。その文化的遺産の豊富さは、世界でも稀に見ると言います。中でも最も有名なものは、顕通寺、塔院寺、文殊寺、殊像寺、羅睺寺の五大寺です。世界遺産 に指定された五台山をもっと見る
普陀山
普陀山島は東海舟山群島の小さい島であり、南北が狭くて長く、面積は約12.5平方キロメートルです。「海天仏国」「南海聖境」とも呼ばれ、島の景色も有名な観光地です。普陀山は世界で有名な観音道場、仏教聖地であり、宗教の活動は秦の時代にまで遡ります。唐の時代に至って、海のシルクロ—ドが盛んになるにつれて、普陀山は観音道場にされるようになりました。普陀山観音道場も速やかに漢伝仏教の中心になり、東南アジア、日本と韓国等の国に伝わりました。清朝の末まで、全山は三大の寺、八十八の禅院、百二十八の茅屋と数千の僧侶の規模が形成してきました。
紀元916年、日本の僧慧鍔は五台山から観音聖像を奉持し、帰国しようとしました。ところが、舟は蓮華洋に着く時、突然風波が起こり、舟が前進しようとしても、なかなか前進できませんでした。慧鍔は「観音様は東へ行こうとしたくない」と思い、普陀山の潮音洞に止まり、地元の住民--張氏の家に観音様を祭りました。その後、普陀山はだんだん専門に観音を供える道場となって、慧鍔も普陀山の開祖と成りました。これが「不肯去観音」(行かずの観音)の言われです。この住宅は観音院を建てたため、「不肯去観音院」と言われ、即ちこの道場の一番の寺院です。
紀主要な観光地は三つのお寺:普済禅寺、法雨禅寺と慧済禅です。普陀の標識は南海の観音の大銅像です。俗世間を越えさせ、禅境に漸進させ、楽しんで国のことを忘れさせるのはお寺だけではなく、自然景色と廟宇の結び付いた西天風景区でもあり、特に紫竹林風景区は、竹林禅院、不肯去観音院と南海観音立仏など六つの観光地が含まれています。これらは普陀山の精髄です。夏になると、山へ避暑に行く観光客は、次から次へと浙江省の第一番の浴場「百歩川」に集まり、普陀山の美しい景色となります。
峨眉山
峨眉山は四川省峨眉山市にあり、総面積154平方キロ、主峰「万佛頂」標高3099m、自然風景と仏教文化を併せ持つ、国家級山岳景観景勝地です。1996年12月6日にユネスコ世界遺産(複合遺産)に登録されました。
同山は普賢菩薩の霊場とされ、中国四大仏教聖地の一つです。1世紀から仏教施設の建設が始まり、約2000年に及ぶ仏教歴史は、峨眉山に数え切れないほどの豊富な文化遺産を残し、高僧、聖人を輩出させました。中国のみならず、世界中にその聖性が定着し広がりつつあるのです。最高峰万佛頂まで30余りの名刹(めいさつ)が続いていて、僧や尼300人余りが修業しています。中でも最も有名なのは、報国寺、伏虎寺、清音閣、仙峰寺、金頂華蔵寺、万年寺などです。
寺の中には、土製、木彫り、玉製、銅や鉄製、陶磁器製、脱活乾漆像(だっかつかんしつぞう)などの仏像が祀られ、全てが精妙を極めた造りで優れたものです。万年寺に安置されている「普賢菩薩騎象銅像」は最も有名で国家1級文化財です。また、「阿弥陀仏銅像」「三身仏銅像」、報国寺にある「脱活乾漆七仏像」などの貴重な造像のほか、「貝葉経」「華厳銅塔」「聖積晩鐘」「金頂銅碑」 「普賢金印」など、重要な仏教文化財がたくさんあります。更に、峨眉山独自の仏教音楽、中国武術三大流派の一つである峨眉山武術などは、峨眉山に奥深く神秘な色彩を添えました。こうした多彩な仏教文化遺産は、まさに中華民族が誇る宝物なのです。
九華山
九華山は、中国の四大仏教名山の一つであり、地蔵菩薩の霊場とされています。安徽省池州市南東境にあり、北西は長江に接して、天柱山に向かっていて、南東は太平湖に接し、黄山に向かっています。安徽省の「両山一湖」(黄山、九華山、太平湖)の北の入り口で、国際的な仏教道場と呼ばれています。
九華山は御影石でできていて、ほとんどは峰ですが、盆地、峡谷、渓流もあります。九華山の有名な峰は70あまりあり、千メートル以上のものは30あまりあります。最も高い十王峰は標高1342メートルです。山間にはたくさんの谷間や湖があり、景色がとてもきれいです。九華山はまるで天然的な山水画のようです。随所に見どころがあり、まさに、「九華十景」です。
唐初元末、新羅国(朝鮮半島南にあり)の金喬覚和尚(金和尚、金地蔵、僧名を地蔵)がこの地の化城寺で修行中、齢99で入滅した際、3年経て棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことから、地蔵菩薩とこの僧を同一視する信仰が生まれ、地蔵王菩薩(仏教の地蔵菩薩が、仏教道教混淆の十王思想と結びつき、閻魔王と一体となって死者を裁くとされる)の聖地となりました。唐、宋、元の各時代を経て、明代初期に発展し、五台山、峨眉山、普陀山とともに中国の仏教四大名山となりました。清代には興隆を誇り、300以上の寺院に4000人あまりの僧侶がいました。現在残された寺院は99あり、その中の化城寺、月身殿、祇園寺、百歳宮、旃檀林(大悲楼)、甘露寺、上禅堂、慧居寺、天台寺が中国の全国重点寺院とされました。1000人以上の僧侶がおり、即身仏が5体安置されていて、1万以上の仏像があります。ほかに2000あまりのチベット歴代の教典や法器などの文化遺産があります。
唐から今日までに、九華山には自然的にできた僧侶の即身仏が15体あり、現在見物できるのは5体です。その中の仁慈法師の即身仏は世界で唯一の尼僧の即身仏です。即身仏はミイラと同じく、骸骨のようで、古来の金箔或いは漆が上塗りされ、保存されています。今日、九華山は国際的な重要な仏教道場になっています。