興坪鎮は、山あり水あり、漓江の流れる古くて美しい町です。県内まで25キロメートル、楊朔の北東部にあり、漓江で最も素晴らしいとされています。観光地には、九馬画山、黄布倒影、僧尼相会、下龍勝景、老人守林檎、浪石風光、鯉魚掛壁、神筆峰、螺糸山のほか、名勝地と名高い興坪漁村もあります。興坪漁村は古い村です。明朝万歴年間に作られて以来、四百年の歴史があります。明朝と清朝間の戦争、日中戦争、解放戦争、さらに文化大革命を経て、美しさと古くからの文化を無傷で現在に残した非常に貴重な村です。
多くの遺跡が残る興坪古鎮には、周恩来、鄧小平、楊尚昆、江沢民、李鵬、喬石などの歴代の共産党指導者も訪れています。興坪漁村は漓江の岸にあり、土地の豊かさから興坪圩の貴族が移り住みました。村の住宅は圩にある古い建築様式。青いレンガと黒い瓦が使われていています。傾斜のある屋根、馬頭壁、飛軒、画棟など、明清の北方の夏季住宅の特徴が見られます。建物は500年以上の歴史を持ちながら傷ひとつない状態で保存されています。また、これらの建築群は1.5ヘクタールの面積を占め、48棟の伝統的な住宅が残っています。村の前を流れる漓江の対岸には、鯉魚山、金瓦山、元宝山、剣刀山、筆掛山などの山々が連なる美しい風景を見ることができます。
村の裏側には独特な山がたくさんあります。五指山がそびえ、馬頸山、天水寨が高く険しく、人びとの興味をかき立てます。天水寨は、五指山と馬頸山の間の20エーカーの平らな土地に建てられました。東と南には門がなく、周囲は崖。辿り着くには一本の険しい小道しかありません。実は天水寨は、清文宗年間に漁村に住んでいた貴族たちが、戦争や盗賊から守るために建てたものです。ここには二つの泉があります。澄んだ湧き水は冬でも凍ることはありません。千人が飲んでも枯れることのない泉を、村人は天からの授かりものと崇め天水寨と名付けました。そして今でも大切に保護されています。
1921年の冬、当時の中華民国-孫中山大統領は、三百隻の船団を率い広州から桂林へ遡り、北伐の基地を建てようとしました。孫大統領は陽朔に到着するなり、「三民主義の実行と楊朔開発」を宣言しました。孫大統領の熱烈な信者である村民-趙丹瑶は、孫大統領が陽朔に着いた二日後、孫氏の革命思想を村中に広めました。しかし、胡漢民や張猛らとともに天水寨に登った孫大統領は、天水寨から眺めた山水のあまりの麗しさに感動し、翌日、桂林へ船団を引き上げました。孫大統領は、一晩を漓江に停泊した船ですごし、「天水寨」の三文字を残しました。
興坪漁村の住民は、代々、鵜飼い漁を営んでいます。舟ではなく筏を用いるところなど、中国でも稀な特徴を持っています。漁村では、一緒に魚を獲り、漁民生活を体験しながら、漓江の新鮮で美味しい魚料理を味わうこともできます。興坪漁村ならではの楽しみの一つです。
1998年7月2日午後4時、当時のアメリカ大統領-クリントン一行が、船で桂林から興坪漁村に訪れました。クリントン大統領は、興坪漁村の馬頭壁の街並みなど、伝統的な風情にしきりに感動していました。クリントン大統領はその場にいた記者や住民らに、「ここで放送機関と私たちをサポートしてくれた中国の方々に伝えたいことがあります。江沢民首相の正しいご指導の下、中国の人びとの生活はいっそう豊かに花開くでしょう」と発言しました。のちに、各国のメディアに報道され、この小さな漁村は世界の人々に知られることとなりました。