コロンス島(鼓浪嶼)はアモイ島の西南部に位置し、対岸のフェリー乗り場(中山商業区にある)との距離は1キロにも足りません。面積は1.78平方キロメートルで、定住人口は2万人です。毎年約1000万人以上の観光客がここを訪れます。コロンス島には西南側に長年の浸食を受けて真ん中に大きな縦穴が開いている岩山があり、満ち潮の時岩に波がたたきつけると、まるで太鼓の響きのような音がきこえたことから、明の時代から今の名で呼ばれるようになりました。
新中国が成立する前、コロンス島は租界地に定められ、多くの国家が次々に領事館を開設しました。それに伴って多くの外国人もここに住み付いたので、世界各国の様々な建築がそのまま残され、「万国建築の博物館」と呼ばれています。そのほか、コロンス島は音楽の聖地で、音楽にたけた人材を多数輩出し、単位面積あたりのピアノの保有台数は中国一で、「ピアノの島」「音楽の島」とも呼ばれています。
もしコロンス島の高所に上ったら、麓のフェリー乗り場を見ることを忘れないでください。そこは実にピアノの形をしています。それに、島にはピアノのみを扱った博物館もあり、世界各地の名高いピアノが多数展示されています。島は一年中春のように暖かいです。島内では車の使用が禁止され、唯一の車はごみ収集車で、自転車もめったに見あたりません。数十両の電気自動車だけが運行されており、主要な観光スポットを結んでいます。島の主な観光地は日光岩、菽荘花園、皓月園、毓園、環島路、鄭成功記念館、海底世界等があります。
アモイ南西部にある小さな島です。中国語で「鼓浪嶋」という。島の名前の由来は、西部にある岩礁が風雨にさらされ洞窟になり、満潮時になると波に叩かれ太鼓のような音を発したことにようです。コロンス島(鼓浪嶼)は全国景観35選にも選ばれている中国を代表する景観地で、アモイ島とは鷺江と呼ばれる海峡を隔てて向き合っています。島の面積は1.78平方キロで、2万3000人余りが生活をしています。
この島が一般的に知られるようになったのは、明末に民族英雄--鄭成功がこの島で反清抵抗軍の調練を行ってからで、清末の1902年には列強の租界地とされ、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダなどの国が領事館や病院、学校、教会などを建設したことから、租界地特有の豪華な洋風建築が島内のあちらこちらで見ることができます。アモイでも最も生活環境の良い場所として発展をしていった。当時の建物は今日でもその多くが残されており、そのためこの島は「万国建物博覧」の異名ももっています。また歴史的な原因から、この島の住民のピアノの保有率は全国のトップとして知られており、多くの人材を輩出したことから、また、鼓浪嶋の住人は音楽好きで知られており、住宅街で耳を澄ませばピアノやバイオリンの音が聞こえてくるといわれています。「ピアノの島」、「音楽の郷」とも呼ばれています。
島は海水の浸食によって複雑な海岸線を有していて、きめの細かい砂で有名な砂浜が周囲を囲んでいます。島内には多くの公園が造られ、海と風によって育まれた巨石奇岩と相まって、その独特の景観は「海上明珠」、「海上花園」とも呼ばれています。
人気な観光スポット
日光岩
日光岩は俗に「晃岩」と呼ばれ、1647年に鄭成功がここを訪れた時、ここの景色を見て、日本の"日光山"より美しいと思って、"晃"を崩して"日光岩"と改称したという伝えがあります。日光岩は島の中央部にあり、島で一番高い山です、(海抜92.7メートル)。鼓浪嶼の最高峰で、直径40mを越える巨石であります。龍頭山は鷺江を隔てて、アモイの虎頭山とはるかに向かい合ってそば立ち、龍虎鎮海の地勢をなしています。明朝末から清朝のはじめ、鄭成功が龍頭山に駐屯したことから、龍頭山は寨仔山とも呼ばれています。絶壁には許世英が1915年に書いた「天風海涛」と横に四文字刻まれています。その下には、大きく二行「鼓浪洞天」、「鷺江第一」と刻まれています。
岩の頂上には円台が築かれます。山腹に蓮花寺院があり、毎日昇る朝日が雲間から寺に差込み、壁がきらきら輝くことから、「日光寺」と名がついています。明の将軍国姓爺(こくせいや)鄭成功が台湾を攻略する時、この 日光岩に兵を集め訓練しました。今でも兵営の石門、鄭成功直筆の刻石、水操台、(水兵訓練の指揮台)遺跡が残っています。日光寺の裏山の中腹に裏門があり、それは、当時鄭成功が山に駐屯したときに残した寨門で、市の文化保護財になっています。遺跡となっている岩壁には、「海雄風」という字が刻まれています。右手にあるもうひとつの石には、鄭成功が書いた五言絶句が刻まれています。
鼓浪嶼博物館
鼓浪嶼博物館は丘の上にあり、赤い八角形ドームの一番目立つ建物だからです。工芸品、戦争の遺品、灯台産業に関するものなどが展示されています。この楼は1907年に建設され、外観が八卦に似ていることから、八卦楼とも呼ばれている。
館内には展示室が五つあり、アモイに関する歴史の移り変わりや、経済特区を作り上げた歴程、体育事業発展の歴史、友好往来の歴史、歴代の陶磁器、玉、兵器など、千点以上の展示品が陳列されています。
また館内には中国軍事博物コーナーも常設されており、新石器時代の石兵器や5千年前の青銅器から、鄭和が西洋へ行ったときの宝船、銅鉄兵器、火薬に至るまで、2千点以上の品が展示されています。八卦楼の最初の所有者は林鶴寿氏で、菽庄花園の所有者林爾嘉とは従弟同士であります。
菽荘花園
菽荘花園は、海が見渡せる庭園、1913年に建てられ、鼓浪嶼島の南部に位置します。台湾豪商林雨嘉(字菽藏)が甲午戦争の後、難を逃げれて家族を連れコロンスにやって来た時に建造されとものです。大海に面し日光岩を背にしたところにあり、もともと地方の名士である林尓嘉の個人的な別荘です。
菽荘花園は、自然にできた巧妙な構造を利用して、蔵海園と補山園の二つの部分に分けられています。園内には、ほかに四十四の橋と十二の洞穴などの名所があります。一番の見所は“四十四橋”です。まるで海の上に浮かぶかのように造られ、満潮 の時ここを歩くと、まるで波の上を歩くかのように見えます。園のオーナーが彼の文字「叔蔵」の発音を真似て花園に名前をつけて、1955年に公園として寄贈しました。
菽荘花園に来るなら、中国で唯一といわれる世界一流の鼓浪嶼ピアノ博物館を見学するのがおすすめです。ここはもともと鼓浪嶼出身でオーストラリアに居住するピアノコレクター胡友義さんが、珍しい古いピアノ30台を提供してくれたことにより設立されました。館内には、19世紀のドイツ、オーストリア産のピアノが展示されており、それらはすべて胡さんの私物で、観光客に無料で公開しています。また世界のピアノ発展史も展示されており、ピアノ音楽知識の普及と、中外の文化交流促進とともに、鼓浪嶼は突然音楽の島、ピアノの故郷というイメージが浮き彫りにされました。
菽荘花園
所在地: 中国福建省厦門鼓浪嶼区
開館時間:5:30~20:30
休館日:なし
交通 : 輪渡フェリー乗り場からフェリー 10分、鼓浪嶼フェリー乗り場下車。
電話 :(592)2063723 日光岩
観光案内
ベストシーズン
鼓浪嶋案内図
鼓浪嶼は一年中に温かい気候に恵まれているのでとても人気があって、年中1000万人の観光客を訪れます。混雑しているビーチやショッピングエリアは、多くの観光客が鼓浪嶼に到着して観光した後の唯一の苦情です。ですから、中国の公休日(特に5月1日と10月の連休)や週末に鼓浪嶼を訪れることは避けてください。
コロンス島の交通
アモイからコロンス島までのフェリー情報
乗り場ー降り場 | 運営時間 | 値段 |
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夏鼓码头 - 内厝澳码头 | 冬:7:20-17:20 夏:7:20-18:20 | 50 |
厦门码头 - 三丘田码头 | 冬:7:10-17:30 夏:7:10-18:30 | 35 |
嵩屿码头 - 内厝澳码头 | 冬:7:30-17:50 夏:7:30-18:50 | 30 |
轮渡码头 - 三丘田码头(夜行) | 冬:17:50-23:45 夏:18:50-23:45 | 35 |
島内交通案内
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島内では車の使用が禁止され、唯一の車はごみ収集車で、自転車もめったに見あたりません。数十両の電気自動車だけが運行されており、主要な観光スポットを結んでいます。
注意事項
1.廈門本島とコロンス島との間は朝の5:30から翌日の00:30の間フェリーが頻繁に行き来しています。遅くとも20分に1本ほどの割合で運行していることになっています。朝の7:00から夜の7:00までは10分毎に一本、00:30以後は30分毎に一本という頻度です。
2.フェリーでコロンス島に入る時は無料で、帰り道の料金が8元となっています。
3.島内では車の使用が禁止されているので、車とオートバイはありません。自転車もめったに見えません。(島内の坂は急なので、自転車を乗るのは非常に危ないです。)
4.島内では電気自動車が運行されており、料金は島内1周が50元となっています。
5.日光岩から百鳥園までのロープウエー料金は日光岩の入場料に含まれています。