響堂寺石窟-書道の変遷の過程を研究する貴重な文化財産
響堂寺石窟は河北省最南端の邯鄲市、その西南部に位置しており、1400年前の北斉時代(500—577年)に掘削し始めました。その後、隋、唐、宋、元、明の各時代にも加工が施されました。現在、石窟が16箇所、彫像が4000個あり、南北にわたり位置しているのにちなみ、南北響堂寺石窟とも呼ばれています。石窟はすべて美しい自然環境の中、良質な岩石に造られました。奥深い石窟の中で手を叩くと音は大きくてよく通り、こだまするので、「響堂寺」と名付けられました。
北響堂寺には石窟が9室あり、南、北、中の3つの部分に分けられます。部分ごとに大きい石窟が1つあります。第7石窟はいちばん大きい石窟だとされており「大仏洞」と呼ばれています。この石窟は規模が大きく壮観で、彫刻が精巧です。菩薩さまは生き生きとした姿をしています。衣装の模様が装飾性に富み、モスリンに包まれたような感じがし、北斉芸術の傑作と言われる所以を感じさせます。石窟の中に高さ3.5mの大仏があり、あぐらをかき、慈悲深い顔つきをし、モスリンを身に包んでいます。彫刻は力強く、それでいてやわらかさをも感じさせ、輪郭もはっきりしています。
南響堂寺には石窟が7室あり、山の形にあわせて造られ、上下二層に分かれています。下の階にある仏像は破壊されてしまいましたが、壁に彫られた仏経はまだはっきりと確認できます。仏経を彫刻するのに4年もの歳月がかったといわれています。字体がきちんとし、しっかりとした筆運びのこの仏経は書道の変遷の過程を研究する貴重な文化財になっています。上の階には石窟が5つあります。うち、「千仏洞」は最も壮大です。仏像が1028体あることにちなみ「千仏洞」と名付けられました。