龍門石窟は河南省洛陽市から市外南に6キロの「伊闕」という峡谷にあり、莫高窟(敦煌)、雲岡石窟(大同)、麦積山石窟(天水)と並ぶ「中国四大石窟」の一つです。龍門石窟は現在、中国国内で最も完全な状態で保存された大型石窟群で、中国の石刻芸術の宝庫とも称賛されています。
歴史
「龍門」は昔、「伊闕」と呼ばれ、地勢が険しく、要衝に位置にするため、昔から兵家に必ず争う所でした。龍門は山水の景観がとても美しく、気候も環境も穏やかで人の心をゆったりとした気分にさせるので、文人たちが景色をながめ、遊覧する景勝地として最高の「洛陽八景」だと認められています。そして石質が良く彫刻しやすいため、多くの先人たちはここを選んで石窟を掘っていきました。そのため龍門に蜂の巣のような穴が無数に散らばっている現在の状態になってきました。
観光スポット
龍門石窟は北魏孝文皇帝が洛陽に遷都した際に掘削され、それから東魏、西魏、北斉、隋、唐、五代、宋などの各時代、およそ400年の間に造営が続けられました。そして南北の長さが1キロで、現存する窟穴が2300個、塑像が10万尊、石碑拓本が2800本、という今の遺跡ができあがりました。重要な洞窟には「潜溪寺」、「賓陽中洞」、「摩崖三仏像」、「万仏洞」、「蓮花洞」、「奉先寺」、「古陽洞」、「薬方洞」などがあります。龍門のすべての窟穴の中で最も大きい盧舎那大仏は雄大な姿で気力が漲っています。高さが17.14メートルあり、頭の長さが4メートル、耳の長さが1.9メートルです;最も小さい仏像でたった2センチメートルのもので、その安らかな表情と姿をしており、すばらしい芸術レベルが十分に現れています。
龍門石窟の特徴
龍門石窟は北魏、唐代の貴族が集中的に願をかけ彫像を施したところで、王室の意志と行為の表現された、国家の宗教色が強く出ているところです。この二つ時代に作られた塑像には異なる風格が表れています。:北魏の塑像は顔が長く痩せて、胸が平らで、面立ちは清らかで美しいけれど、素朴で強靭で揺らぐことがない様子、一方、唐代の塑像は丸い顔をし、広くて厚い肩、たくましく盛り上がった胸板、全部の輪郭が自然で滑らかです。秀麗で温和なものもあり、勇壮で素朴なものもありと、異なる姿をしておりこれらのすばらしい彫刻芸術品は仏教の塑像芸術の頂点に達しています。表情や様子が真に迫っている芸術品として仏教世界が情け深く優しいといった理想的な雰囲気を十分に表現されており、中国伝統文化と外来文明とが融合しあった珍しいものになっています。
龍門石窟の文化
龍門石窟は中原に位置し、外来の仏教芸術が中華民族の伝統芸術の土に根付いた豊かな果実のようだと認められています。さらには長年にわたり、多くの王朝時代を経、地理的な条件も整っており、美しい自然景観も相まって他の石窟とは比べようがない歴史的地位を持っています。大量の実物と文字資料でさまざまな側面から中国古代の政治、経済、宗教、文化など、たくさんの分野の発展と変化がわかってきました。龍門石窟は中国石窟芸術の発展において重大的な貢献を捧げたといえるでしょう。