九寨溝にある多くの湖は水に含まれる石灰(炭酸カルシウム)で作られています。約12000年前の気候変動によって水中の石灰分が石などに付着、堆積して現在のような棚田状の姿(石灰華段丘)が形成されました。 神様が不意に落とした鏡が108の破片に砕け、それが九寨溝の108の「海子」(池)と化したと言われています。(五つの浅瀬、十二の滝、数十箇所の泉も含みます。)
1960年代、九寨溝は126、127といった二つの営林場でした。この時代、毛沢東の地方支援の呼び掛けに応じた中部の人々はアバ州、甘牧州と涼山州に集まり、「三線建設」という計画のもと開発が進められていきました。そのため6年間にわたり伐採が行われました。1966年からの10年間「文化大革命」によって伐採は中止され、もとの自然の姿を取り戻しました。
文化大革命の後、1975年に農林水産省の作業チームは九寨溝を調査し、「九寨溝は豊かで貴重な動植物資源を有する一方、世界にも稀に見る景勝地である」と結論づけました。同年、中国林業科学院院長であり森林学者の呉中倫教授は自ら九寨溝を全面的に調査した際「私は欧米の数カ国を訪れたことがあるが、こんな美しく珍しい風景を見たことはない。きちんと保護すべきだ」と述べ、早速四川省政府と林業庁に報告しました。林業庁は直ちに「九寨溝から200メートル範囲内は伐採禁止」と南坪林業局に通達しました。これが最初の九寨溝に対する保護措置でした。1977年の四川省動物貴重種調査チームがまとめた「四川省動物貴重種資源調査報告」に九寨溝が明記され、1978年11月30日に関連省庁は九寨溝の全面伐採禁止令を下しました。1979年には二つの営林場が移転し、1980年に九寨溝自然保全区となりました。それ以来、観光客は増える一方です。
1982年に九寨溝は国家級景勝地として国務院(中国の中央政府)に認定されました。1984年に管理局が成立し、九寨溝は景勝地として本格的に営業開始しました。1992年12月14日、黄龍(九寨溝との間には一日1往復の観光用バスがある)とともにユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録され、1997年に「人間と生物圏計画」の「生物圏保存地域」に指定されました。2000年には中国最初の4つ星級の景勝地の一つに認定され、2001年2月、Green Globe 21の認(ISO14001環境マネジメントシステム認証よりも観光業に適した国際標準評価基準。持続可能なエコツーリズムを目指す基準である)を取得し、九寨溝は今では黄龍とともに三冠王を有する世界レベルの景勝地になっています。