中国は国土が広く、元宵節の時は地域によって風俗も異なりますが、元宵団子を食べることや、灯篭見物や獅子舞や龍踊りなどが一番大切な風物として広く流行っています。宋の時代に遡れば、元宵節の灯篭見物は五日間続いたものです。灯篭のデザインもいろいろあるため、灯篭祭りを見物するのが非常に心地よいことです。
旧正月十五夜、中国各地ではお祭りや行事があり、「花灯見物」のような行事がよく行われており、道は灯りに溢れています。人々は灯篭を見物し、字謎遊びを解き、子供たちは皆手に色鮮やかな灯篭を持って遊んでいます。また、普段には稀に見られない龍踊りや獅子舞、竹馬踊りなどの芸能も楽しめます。
漢の明帝は仏教が好きなため、「旧正月十五夜に宮殿や寺院で『燃灯表仏』(灯篭をかけて仏教の理念を広める)す」との法令を下しました。それ以来の旧正月十五夜、士族にしても、庶民にしても灯篭をかけるようになり、都市も田舎も灯りで煌びやかになりました。
唐代になって初めて、元宵節に灯篭をかける風俗は空前絶後となり、「灯篭の市」になりました。当時の都長安は百万以上の人口を持っている世界最大の都市として繁栄していました。皇帝の提唱の下、元宵節はますます盛大に行われるようになりました。
清代になると、満州族が中原地域に入ってきたため、宮殿では灯会が行われなくなりましたが、民間では灯会が依然として賑やかに催され、今日に至っています。
「猜灯謎」とは灯篭に張った謎を解く遊びです。メモ用紙に書いたいろいろな灯謎が灯篭に張られ、解けた人は景品がもらえます。こういう風物は娯楽であるとともに知恵に溢れているため、広く知られています。
灯謎は元宵節に繋がっている文字の遊びで、「灯虎」とも呼ばれています。ヒントを与えてくれる「謎面」は灯篭に張ってあり、「謎底」(正解)は文字の意味に関わっています。中国史上における最大の灯謎祭りは1979年南京で行われたもので、「九都市灯謎会」と呼ばれています。当時、灯謎は1万以上に達し、3日間で参加人数は2万人に及んでいました。
獅子舞は中国の伝統的な民間芸能で、元宵節や年中行事のたびに、民間では獅子舞を呼んで座を盛り上げます。かつて獅子舞は勇敢さや力のシンボルと見なされ、邪気や悪霊を払うことができ、そして、人や家畜の命を守ってくれると信じられていました。このようにして、元宵節に獅子舞を演じる風俗が広がっていきました。獅子舞に、生活の吉祥や家族の平安などの願い事が含まれています。
この風俗は三国時代に起源とし、南北朝に流行り始め、今では千年以上の歴史を持っています。千年の歴史の中で、獅子舞は「南方風」と「北方風」の二種類に分かれています。 北方風の獅子舞は「武獅」(武術の演技を重んじる芸能)が特徴で、即ち魏武帝が定めた「瑞獅」です。要するに、小さい獅子は一人で、大きな獅子は二人で操られます。その二人の中で、立っている一人が獅子の頭を操り、もう一人は腰を曲げたまま獅子の体と尻尾を操ります。南方風の獅子舞は「文獅」が特徴で、生き生きとした表情や毛を舐めたり、振ったりするような迫真の演技があるため、人気があります。また、難しいスキルもあります。南方風の獅子舞は広東省を中心に、香港やマカオで流行り、また、東南アジアなど華僑が多い地域でも盛んに行われています。
そもそも元宵団子は「湯円」と呼ばれていました。なぜかというと、鍋のお湯が沸いてくる時、お湯に漂っている元宵団子から、空に現れる明月を連想するからです。空に一輪の明月、茶碗に真ん丸の元宵、というのは元宵団子が各家庭の団欒を象徴しているのです。このため、元宵団子を食べる風俗には家族の団欒を祈る気持ちが込められています。
旧正月十五日に食べられる食べ物として、元宵団子は長い歴史を持っています。宋の時代、民間では「浮元子」と呼ばれた一種の特別な食べ物が流行っていました。後に「元宵」と名づけられました。また、元宵団子の中身は砂糖、バラ、ゴマ、小豆餡、金木犀の花、胡桃、果実の核、棗の餡などが主流で、普通もち米の皮で丸く包まれています。そして、作り方によって味も違います。
元宵節の時、祝うための行事のほかに、「走百病」という信心に繋がる活動もあります。「走百病」、別称「烤百病」、「散百病」で、参加者の大半が女性です。連れ立っていく女性が垣に沿っていったり、もしくは橋を渡って郊外へ行ったりして、病や災いを祓うのが目的です。
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