寒山寺は、蘇州城西の古運河畔の楓橋古鎮に位置し、六朝時期の梁代天監年間(紀元502―519年)から建てられ始め、すでに約1400年経ちました。寒山寺は当初「妙利普明塔院」と呼ばれていました。名僧-寒山と拾得は、唐代貞観年間(627~649年)に、天台山からここに来て、住持になったので、「寒山寺」と改称しました。
唐代の詩人-張継は「月落ち烏啼き霜天に満つ、江楓漁火愁眠に対す。姑蘇城外寒山寺、夜半の鐘声客船に到る」という詩『楓橋夜泊』を詠み、寒山寺は一躍有名になりました。この寺廟は幾度も焼失し、現存の建物は清代末に再建されたものです。歴史上の寒山寺は、かつて我が国の十大名寺の一つでした。
寺内の主な建物には大雄宝殿、蔵経楼、鐘楼、碑廊、楓江楼、霜鐘閣などがあります。ここの仏像彫塑は独特の風格があり、石刻碑の芸術は世に名を知られています。碑廊には岳飛、唐伯虎、康有為などの歴代の名人の詩碑があり、その中で清代末の学者-兪樾による張継の詩を書いた石碑は最も有名で、寒山寺で唯一無二のものです。
大雄宝殿の内側の壁に、寒山の詩碑36首を嵌め込み、両側には18個の羅漢像が掛けられています。殿内に寒山と拾得の石刻像を祭り、この石刻像は、ある種の芸術価値を持っています。蔵経楼は、もとは仏書を収蔵したところで、屋根には『西遊記』中の人物-孫悟空、唐僧、猪八戒、沙悟浄の彫刻像があります。
寒山寺で現存の「天下第一仏鐘」は、清代光緒三十二年(紀元1906年)に唐代の様式を模倣して作られたものです。総重量は108トン、高さは8.588メートル、鐘の裾で最も大きい直径は5.188メートルに達します。鐘の主体部分の銘文『大乗妙法連華仏』は全部で69800字、鐘の表面の銘文は総計70094字です。鐘全体の形は雄大で美しく、当代中華の梵鐘文化を反映する芸術の珍品です。
大鐘と同時に作られた大碑は「中華第一詩碑」と称されています。主体の高さは15.9メートル、総重量は388.188トンに達します。碑の表面には張継の『楓橋夜泊』の詩が彫られ、大字は合計28字、小字は45字、最大の文字は0.8×0.8メートルです。碑の背面には乾隆皇帝の手書き『般若波罗蜜多心経』一巻が雕刻され、総計289字です。
2008年11月、中国上海大世界ギネス本部の検定により、寒山寺の大鐘と大碑は「ギネス」記録に入選しました。