市の中心部にある奉天軍閥の総帥張作霖、張学良の官邸および私邸であった建物である。別名大帥府また少帥府とも呼ばれる。現在は一般公開されており、当時の貴重な文物を見ることが出来る。
張氏帥府の建物
1914年に建設され、その後増築などで現在の建物が揃ったのは建物の所有が張氏から離れた満州国時代の1933年のことである。主な建造物に、大青楼、小青楼、西院、四合院、関帝廟、張四小姐楼があり、敷地面積は約1.6平方キロメートルである。中国の伝統建築-西洋建築(特に北欧系のものが多い)が入り混じった、建築当時の中国東北部の雰囲気が残っている。このうち、大青楼が中心の建物に当たる。張親子はここで起居し、政務を執った。重要な接客もで行われ、日本の関東軍の要人や外国人の商人なども張親子とここで対面した。また、1929年に反日に傾いた張学良によって、日本と親しい楊宇霆らが処刑されたのもここの前庭である。