白沙古鎮は、麗江の街から北へ約10kmほど行ったところにある古い集落です。北は玉龍雪山、南は龍泉、西は芝山に面し、麗江の発祥の地といわれ、この地域を元の時代(13-14世紀)から仕切っていた地元の豪族(土司)-木(ムー)氏の本拠地でもあります。木氏の家族は、ここで街づくりの経験を積んだと言います。唐の時代、南詔王(南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベットビルマ語族の王国)が玉龍雪山を五岳の一つ「北岳」とたたえた際、木氏の先祖(当時麗江王)が、この地に白沙街と北岳廟を創建しました。宋、元の時代、白沙古鎮は納西族の政治、文化、交易の中心地として栄えていましたが、明の始め、木一族は大研鎮(現在の麗江旧市街:四方街)へ移りました。白沙の町は、旧市街と違い、とても小ぢんまりしていて、落ち着いた感じでゆっくり散策できます。
白沙の壁画
白沙古鎮の明、清時代の古建築の中には、地元の絵師が描いた壁画が数多く残されており、「白沙の壁画」として有名です。白沙瑠璃殿、大宝積宮、大定閣などに現存する明、清時代の壁画は、麗江で最も代表的で、保存状態が最も良い壁画とされています。何れも国宝級で国家重要文化財に指定されています。中でも、規模が最も大きいものは、大宝積宮壁画です。大積宝殿は外苑、中苑、内苑からなり、太い柱に斗組(ますぐみ)や二重軒の明代様式で、とても壮麗雄大です。万暦年間(1573年-1620年)に作成された壁画は12枚、最大なものは高さ2.07m、幅4.48m、167の人物が描かれています。各地にある宗教壁画と違い、白沙壁画には、仏教、道教、ラマ教の多くの仏が一緒に描かれ、歴史と独特の文化が感じられます。
白沙古鎮は、それなりに観光開発が行われていますが、それほど観光客は多くはありません。何軒かの旅館とカフェが営業するひなびた静かな田舎の村です。一面の麦畑、群れる古民家、目の前にせまる玉龍雪山、地元のナシ族の牧歌的な田園生活が垣間見える秘境です。