蘭州は、内陸と北西とを繋ぐ交通の要衝です。人々は明代に、黄河に橋をかけ、交通の障害となっているこの黄河に打ち勝とうと考えていました。明洪武5年(1372年)、朱元璋は、蘭州から西へ360町離れている場所に、初めて浮き橋である鎮遠橋を建設するため鄧愈公を派遣しました。明洪武18年(1385年)、蘭州の楊廉将は、その浮き橋を今日の場所に移しました。今でもこの地には、長さ5.8メートル、10トンの将軍柱と呼ばれる鋳鉄の橋脚の跡が残されています。
清光緒33年(1907年)、清政府は蘭州の彭英甲の提案と甘粛総督昇允の援助のもと、ドイツ企業に依頼して、浮き橋に基づいて黄河にかかるこの大型鉄橋を建てました。鉄橋は長さ233.33メートル、幅7.5メートルで、下には4つの橋脚と5つのアーチがあります。表面には厚い鉄板が使われており、建設に使用された鉄板や砂利はすべて海外から輸入されたもので、30万両もの大金が投入されました。当初は蘭州黄河鉄橋と名づけられていましたが、1942年に中山橋と改めて命名されました。1954年、蘭州政府は修繕を行い、アーチ型鉄骨を加え、より頑丈になった鉄橋は貫録に満ち溢れています。
現在、黄河鉄橋は歩行者用に改造され、重要文化遺産として保護されています。橋上にいると、水面を夕日が照らし、水面があたかも魚鱗のように光っているさまや、白塔山にある白塔がときおり雲の往来によって隠れるさま、そして、橋下の黄河が悠然と流れるさまを見ることができます。これこそ蘭州の最も美しい景色のひとつであると言えます。
蘭州黄河鉄橋は、蘭州市滨河路の中央部北側、白塔山の麓、金城関前にあります。100年を超えた鉄橋で、中山橋とも呼ばれています。全長5740キロメートルの黄河に架かった最初の固定式の橋です。それゆえ、天下の黄河第一橋という別名も持っています。