聶耳墓は中国の重要文物保護単位に指定されている。太華寺と三清閣の間にあるなだらかな斜面の、うっそうと茂る木々の中に、音楽家聶耳が眠る。その墓は月琴(丸い胴に首のある中国の伝統的な弦楽器)の形をしていて、墓本体が胴の部分、墓穴が首にあたる。墓の上には墓碑が、正面には聶耳の像が立っている。また七つの花壇は七つの音階をあらわし、24の石段は彼の24年の生涯をあらわしている。
聶耳の墓は、もともと華亭寺の辺りの道路の西側にあり、黒い石を積み上げただけの質素なものだった。1954年中国政府が補修した折、郭沫若の筆による碑文が加えられた。その後1980年、多くの人々の要望により、5月13日に今の場所に墓を移した。
聶耳の作った歌は『義勇軍行進曲』、『前進歌』、『卒業歌』、『開路先鋒』、『碼頭工人歌』、『新的女性』など三十曲余りで、そのうち『義勇軍行進曲』は1982年12月4日の第五回全国人民代表大会で正式に中華人民共和国国歌に定められた。