清朝広東四大名園
余蔭山房は順徳の清晖園、東莞の可園、仏山の梁園と共に『清朝広東四大名園』と呼ばれます。余蔭山房は四大名園のなかで、本来の姿がよく保存されている古典庭園です。典型的な嶺南庭園建物です。
余蔭山房は余蔭園と呼ばれています。清朝挙人の邬彬の私有の庭園です。園内はレイアウトが精巧で緻密、芸術性が高く有名です。園内の東屋、楼閣、回廊、高殿、橋...いろいろな山水が全て、周囲三百歩内にあります。レンガ彫刻、木彫り、石灰の彫刻、石の彫刻などの四大彫刻作品は種類が多くて、内容も豊かで、名園の古雅な趣を見せます。空高くそびえる古い木、まばゆくて珍しい草花、輝きの美しさに満ちます。壁と壁の間につややかな緑の竹、月を映すアーチ橋、奥まったところに植えられた柳、二つの春を迎える木などの四大奇観は観光客の視野を広げて、名残惜しく立ち去りがたいです。
余蔭山房の主人
余蔭山房の面積は1,598平方メートルです。南向き、廊下橋を境にして、庭園は東、西の二つの部分に分けられます。
名園のもとの所有者邬彬は字を燕天といい、清朝の挙人、司法機関の高級官吏で、七等員外郎を担当しました。さらにめったにないのは二人の息子も挙人です。それゆえ、「一家三挙人、父子がみんな科挙合格」という言葉もあります。その後、庭園の主人は世情を悟って、引退して郷里に帰って、この庭園を建てました。祖先の御蔭を記念するために、『余蔭』を園名として名づけ、。祖先と同時に後世の子孫まで恩恵が及ぶことを望みました。
余蔭山房が完成した20年後、庭園の主人の甥の邬中瑜が『瑜園』を付け加えました。そこは身内の女性が住む所でしたので、『お嬢様の楼』とも呼ばれました。楼中の内装は典雅で、中で琴を弾じ、碁を打ち、書をなし、絵を描き、化粧刺繍、仏像を拝んで、読経しました。清朝の女性たちが暮らす所でした。
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位置:広州市番禺区南村鎮東南角北大街
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入場券:18元
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開園時間 : 8:30~18:00
交通:広州市橋番禺バス旅客ターミナルは、園まで15キロあります。市橋-南村線や市橋-化龍、新造方向のバスに乗り換え、南村鎮で降りると、『余蔭山房』への道しるべがあります。行程は1時間ぐらいです。広州市から番禺区まで、地下鉄4号線に乗って、新造鎮駅で降ります。番禺旅客ターミナルの定期バスに乗り換えます。或いは地下鉄3号線に乗って、大石駅に着き、地下鉄接続専用8番線に乗り換え、南村鎮で降ります。
TIPS:不便な所にあるので、タクシーで行くことを勧めてはいかがですか。帰りのタクシー呼び出し電話番号も控えておくように追記してください。