西漢南越王墓は広州市解放北路の象崗山にあり、今から2100年前に建てられた、西漢初期(日本では前漢と呼ばれています)の南越国君主であった文帝趙昧の墓です。1983年に発掘調査が始まり、中から15人の殉死者と、玉器、青銅器を中心とする1000件以上の埋葬品が発見され、10年をかけた遺跡の保存とともに博物館を建設しました。
西漢南越王博物館は2000年以上の歴史を持つ古都広州のシンボル的な存在で、建築面積は1.4万平方メートル、総合展示館、王墓遺跡、本館の3つの部分から形成されています。
墓室の構造
西耳室は墓主が各種の用具類と宝物を安置する倉庫に当たり、青銅製の鏡、玉細工の剣、墨の珠のほか70点余りの鉄器が出土しました。
前室は墓主の宴会場を象徴する所で、西側には車や馬をかたどった装飾品、東側には一人の殉死者がおり、玉佩(ぎょくはい)、銅鏡、玉璧などの埋葬品もあります。
西側室には殉死者が5人います。北からは大量の牛、羊、豚の骨が出土し、傍らには2人の殉死者もおり、ここは厨房だと推測されています。
東側室は第4位の妻妾の室で、印鑑、玉佩、銅鏡などの埋葬品が数多く出土しています。
主室は墓主の棺が安置された部屋で、発掘時には棺はすべて朽ちていました。東側には折り畳み式の屏風、西側には多くの武器があります。墓主は「絲縷玉衣」を身に纏い、周囲には玉佩などの玉器が配置され、真珠で作られた枕、10本の鉄製の剣や9つの印章によって墓の主人であることを主張しています。絲縷玉衣は2291片の玉盤を赤い絹糸で縫い合わせて作られ、全長は1.73メートル。400年余り続いた漢時代を通じ、これまでに全身を覆う玉衣は数例の発掘例がありますが、これは中国で最も早く発見されたものです。漢の時代の皇帝貴族は玉衣を身に纏うと体が朽ちないと信じていたとされています。
入館料:12元
開館時間:9:00~17:30、入場時間は16:45までとなっています。
年中無休、ただし、2月28日と8月31日は定期検査のため休館となります。
交通アクセス:広州地下鉄2号線越秀公園駅下車、E出口を出て右に曲がり100メートル進めば見えます。