広州では“未有羊城、先有光孝”(広州が誕生する前に、光孝があった)という諺があります。光孝寺は広州で面積が最も大きく、歴史が最も長い仏教寺院です。
光孝寺は越秀区の光孝路に位置し、六榕寺、海幢寺、華林寺とともに広州四大寺院の一つとされ、現在まで1700年の歴史があります。光孝寺には長い歳月を持つ樹木が空高くそびえ、多くの建物が分布し、文化財も多く保存されています。光孝寺は広州で最も古いお寺で、潮州の開元寺、韶関の南華寺、肇慶鼎湖山の慶雲山と並ぶ広東の四大名寺とされています。
光孝寺の歴史
光孝寺は嶺南地域の一つ目の仏教寺院として当地域の仏教の発祥地でもあります。唐の儀鳳元年(676年)に高僧慧能がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗を開いたことから、禅宗の第六祖と呼ばれています。慧能はこの光孝寺で「風幡についての論説」を発表したことで、有名になりました。そのほか、慧能がここで髪を剃り落として出家し、その後南宗を代表する人物になったので、光孝寺も名を知られることになりました。西歴749年に、5回目の日本への渡海に失敗して海南島に漂着した鑑真は広州にたどり着き、光孝寺で一春を過ごしたといわれています。
観光スポット
光孝寺の敷地面積は3.1万平方メートルで、南北を貫く中線に山門、天王殿、本殿の大雄宝殿、瘗(カ)発塔が建てられ、西には鼓楼、睡仏閣、西鉄塔、東には洗鉢泉、鐘楼、客堂、六祖殿、碑廊、、もっと東の所には洗硯池、東鉄塔など多くの貴重な佛教遺跡と遺物があり、規模が大きい古代の建築群があります。境内のミロバランと菩提樹はすべて200年以上の古樹で、冠は大きくて傘のようで、環境も静かになっています。
境内には東晋時代に建造された大雄宝殿、南朝時代に開拓された洗鉢泉、唐代の石経幢、南漢の千佛鉄塔、宋、明時代の六祖殿、臥佛殿など数多くの貴重な佛教建築と遺跡が今でもよく保存されるほか、彫刻、仏像、ミロバランと菩提樹等仏教に関係する物も多く存在しています。
交通アクセス:地下鉄一号線西門口駅で下車。北京路と陳家祠の中部。