著者:
Ji Zhilan
2018/07/25
中国華北地方に位置する山西省は、東の太行山脈と西の黄河にはさまれた地域に広がっています。省都は太原市です。この地域も中華文明の生まれ故郷の1つであると言えるでしょう。伝説によると、漢民族の始祖の1人である炎帝(神農)は、この地域を一族の本拠地としていました。また、最初の奴隷制国家である夏(紀元前2070~1600年)も、この地域に興りました。そのため、山西省には、寺院や古城、雲崗石窟など、たくさんの史跡が残されています。それだけでなく、「道教の五岳」の1つである北岳恒山(他の4つは、西岳華山(陝西省)、中岳嵩山(河南省)、東岳泰山(山東省)、南岳衡山(湖南省))や、「中国4大仏教名山」の1つである五台山(他の3つは、普陀山(浙江省)、峨眉山(四川省)、九華山(安徽省))など、壮大な大自然の景観を楽しむこともできます。
歴史
山西省には、旧石器時代の初期には既に人類が住んでいました。西周の時代(紀元前1046~紀元前771年)には、ここは西周の属国の1つであった唐が治めていました。続く春秋時代には、5強国のうちの1つ、晋の支配の下におかれました。
隋の時代(581~618年)の太原は、西安、洛陽に続く黄河流域第3の都市として栄えました。唐の初代皇帝である李淵は、ここ太原で挙兵し、古代中国史において最も繁栄した時代と考えられている唐(618~907年)を興しました。その2代皇帝唐太宗として知られる李世民(599~649年)、中国史上唯一の女帝である武則天(則天武后 624~705年)の両者も、唐から現れました。清の時代(1644~1911年)になって、この地域は山西省と呼ばれるようになりました。
山西省は、南北を黄河と万里の長城、東西を太行山脈と呂梁山脈に囲まれた地域です。地理的な観点から見て戦略的に重要な地点であったため、封建時代の中国、特に戦乱の時代の中国において、この地を抑えることには決定的な意味がありました。
山西の基本情報
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名称: 山西
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ピンイン: shān xī
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位置: 中国華北
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首府:太原
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人口: 3410万
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面積: 156,579 平方 km