孫文の陵墓。孫文は、中国革命の指導者です。号は中山です。広東省出身です。清朝打倒のため、1894年興中会を組織しました。1905年、東京で中国革命同盟会を結成して、民族の独立(民族主義)、民主制の実現(民権主義)、地権平均・資本節制による経済的不平等の是正(民生主義)の三民主義を主唱しました。
1911年には、辛亥革命により、清朝が倒れ、南京で中華民国臨時政府が樹立しました。孫中山は臨時大統領に就任しました。1925年、「革命未だ成らず」の言葉を残し逝去されました。波瀾万丈の生涯でありました。
1929年、当時の首都であった南京へ移されました。緑に囲まれた陵園の奥に祭堂があります。青い瓦と白い壁は、国民党の党旗でもある青天白日をあらわしています。祭堂に至る階段は392段で、祭堂の奥に大理石の臥像があり、その下に孫文の遺体が安置されています。