観音堂は大同市の西郊外7.5キロの所にある丘に建てられました。遼代に創建され、たびたび兵火に遭いました。西暦1122年に、大同が陥落したとき、観音堂も再び兵火によって破壊されました。順治8年(1651)に元の所に再建され、何度も改修され、今の観音堂になりました。1996年1月に省級の保護文化財に認定されました。
お寺は南向きで、前庭と後庭があります。中軸線に沿って戯台(舞台)、観音堂、と三真殿が並んでいます。普通のお寺の配置と違っているのは山門が中軸線の東側にあり、寺の地面より相当に低いと言うことです。山門の上方には「観音堂」と書いてあります。
前庭に北向きの戯台があります。戯台は地面から高さ8メートルのアーチ状に建造され、アーチの下は古代の馬車と人が通る道になっています。戯台と観音殿(正殿)は塀で仕切られています。腰門から入ると、両側に鐘鼓楼と碑廊が見えます。
観音殿の屋根は瑠璃瓦で覆われています。殿前の抱厦(中庭に面した家屋前の回廊)は仏教活動を行うために増築されたものです。殿内の真ん中に花冠の髪に飾られた高さ6メートルの観音石像が安置されています。観音の両側には遼代に創建した高さ2メートルの石像が立っています。殿内の東西両側には十大明王が佇んでいます。壁には観音菩薩が人間を救う絵画24枚が描いてあります。後庭には三真殿があります。三真殿の東西両側に階段があり、その階段で殿の二階に登れます。二階は五つの木造の部屋です。真ん中にある三つの部屋には観音菩薩像、文殊菩薩像、普賢菩薩像が立っています。壁には数枚の「普救老人」の壁画が描いてあります。
寺の前には明代の三龍の琉璃影壁が立っています。それは大同市の唯一の両面影壁です。