沙渓古鎮は、云南省大理剣川県の西南、金沙江、瀾滄江、怒江の三江併流自然保護区の東南部に位置しています。ここに大理風景名勝区と麗江古城の間に非常に有名な石宝山があります。沙渓は靑山に抱かれた小さな平原で、風光明媚、気候の良い、作物の豊富な所です。瀾滄江水系の黒潓江は、町の北から南まで流れています。
四方街は寺登街の中心に位置しており、以前はチベットの薬材、馬、毛皮と雲南のお茶、塩などが取引された茶馬古道の重要市でした。四方街は周囲の寺、古戯台、馬店(隊商や馬方を連れたお客を泊める宿)、ショップ、古寨門、古橋などとともに、現在でも古い時代以来の姿を保持しています。広い街はすべて石を敷き、長い歳月の足跡を感じることができます。四方街に入ると、まるで数百年前の繁栄な茶馬古道に入り、梵音が響く時空のトンネルを彷彿させます。
古戯台は四方街の東に位置して、清代の三階の魁星阁に戯台連れた構造の戯台です。フロントは戯台で、後ろは閣の独特な構造で、このような山郷において全国的にも少ない古戯台です。
興教室は四方街の西に、古戯台の正面に位置しています。明の永楽13年(1415)に建てて、現在、明代のべー族「阿吒力」の仏教寺院として、国内でただ一つの存在です。省の重要な文物保護単位、興教寺の本堂で20点以上の壁画を保存し、これらの壁画は現地のペー族の絵師张宝が明永楽十五年(1417)に作った物です。
欧陽大院: 寺登街には馬方として出世した人たちが建てた邸宅(馬店を兼ねて)がたくさんあります。その中の欧陽大院は、ペー族の伝統的な邸宅として最も特色のある代表です。中にはゲート、二門、母屋、耳房、小さい花園、小戯台、キッチン、そして付属馬房があります。百年以上の歴史を持ち、古き風情は依然としてとても人を魅了します。
鳌峯山古墳群: 沙溪寺登街の南500メートルの鳌峰山頂に位置しています。ここに出土した文物の鑑定から、鳌峯山古墳群の年代は、約春秋末期から前漢初期です。鳌峯山古墳群の発見は、洱海地区の靑銅器文化の研究や雲南高原社会の歴史の研究などに、極めて重要な実物の資料を提供しています。