琉璃廠とは、本来、瑠璃工場を意味しますので、この場所をセメント工場やレンガ工場の類と勘違いしたり、北京で琉璃を産出しているのかと思う方もいると思います。まったくべつものなのですが、ではなぜ琉璃廠はこれほど有名になったのでしょうか。
琉璃廠の歴史と由来
琉璃廠は北京の平和門にあります。書物によれば、明、清朝の際、ここに琉璃瓦を焼く工場があったとのことです。清朝中期になって、その工場は移転したものの名前だけ残ったというのが地名の由来の真相のようです。
清の乾隆帝の時、中国では科挙制度が盛んに行われていました。たくさんの試験に落ちた者は、故郷に帰る前に旅費のねん出の為、持ってきた書物、墨、硯などをこの街で売りました。次第に、ここには書画や書道を売る人が増え、祖先が残した千金の財産を食いつぶしてしまった貴族の子弟も生計を立てるために、家にある書画骨董を売りに出しました。
そうやって琉璃廠は、とうとう伝統文化作品の取引場所になりました。現代中国画の巨匠である斉白石もこの街によって無名の画家から中国画の大家として評価されるようになりました。
現状
現在、琉璃廠は文化人たちが集まる場所と言われることもありますが、実は違います。平日だと街には人の気配があまりないのですが、正月になるととても賑やかになります。骨董屋も書画店も、通りに面露店を出し、普段あまり見せない書画骨董をお披露目します。自然に人々が押し寄せ、買い物をしなくても楽しいひとときになります。
琉璃廠は七、八百年以上の歴史を迎え、最初の工場から今日の今の「文化街」になりました。琉璃廠は北京の深い内に隠れた特別な文化的気質を残しているのです。