北京胡同旅行案内
北京胡同
胡同は北京特有の路地、横丁のことです。北京を訪れるなら、胡同は行かねばならぬ所であろう。胡同は北京の古を繋ぐ道だけではなく、庶民の日常生活の場所、歴史文化変遷の舞台でもあります。おびただしい数の胡同が故宮の周囲に張り巡らされています。殆どは元と明、清、この三つの時代につくられました。
北京では故宮を中心に、通りが縦横に、まるで碁盤の目のように配置されています。正規の胡同は故宮の東側と西側に集中し、南北に整然と並び、多くの貴族が住んでいました。普通の胡同は、多くが故宮からやや離れた南側と、北側につくられ、商人や庶民が大勢暮らしていました。
胡同文化
北京には7000余りの胡同があり、文丞相胡同のように人名で名付けられたのもあり、金魚胡同のように市場、商品名で名付けられたのもあり、さらに悶葫芦島胡同のように北京方言で名付けられたのもあります。そして、どの胡同も独自な伝説を持っています。
大きかったり小さかったりする胡同は混じりあい、豊富多彩な北京を編み出しています。そして、胡同は日常生活の幸せに満ちた場所でもあるので、北京の人々は胡同に特別な感情を持っています。ですから古都の文化を胡同文化と言っても過言ではないであろう。
胡同は北京歴史文化の代表として、その魅力はいつまでも輝いているに違いありません。北京の胡同は数百年前から色な困難を乗り越え、歴史の変遷と時代を記録してきたので、当地住民の生活を表している印であり、北京の古い歴史を物語っている証でもあります。ですから、我々はこの都市の記録と遺跡をよく守らなければなりません。
胡同の歴史
民国時代、社会は極めて不穏な状態でした。内戦が頻発し、外国の侵略が続き、北京の環境は整備されないまま、胡同も損傷がひどくなり、元々一つの家族が住んでいた四合院の多くもまた、多数の世帯が雑居する「大雑院」と化してしました。1949年の中華人民共和国建国後、胡同は従来の姿を元に、ある程度修復されました。しかし、十年にわたる「文化大革命」で、胡同に残されていた貴重な数多くの歴史、文化遺跡は破壊され、そして1978年に始まった改革開放。多くの胡同はブルドーザーで跡形もなく壊されてしまい、跡地にモダンな高層ビルが屹立するなど、北京は大きく変貌しました。
北京の市街地では、胡同はその面積の三分の一を占めていて、人口の約半数を占める人々がそこで暮らしています。胡同では昔と変わることなく今でも、庶民の生活が営まれています。胡同は北京の"血脈"とも言える、これからもずっと北京の歴史、庶民の生活の改善ぶりを記録しつづけていくことでしょう。
人気な胡同
北京に7000以上あると言われる胡同の中から、観光客に人気のある代表的な胡同を2つご紹介します。
南鑼鼓巷-最もファションな胡同
南鑼鼓巷は最近最も人気のある、そして最もファションな胡同であろう。多くの人は休みの日にここへ来てヨーグルトを飲んだり、特色のある店でご飯を食べたりして時間を潰します。
南鑼鼓巷は長さ800メートルで、ここを軸として両側に広がっています。この胡同は北京で最もよく保存された元代様式の胡同です。南から北にかけて、南鑼鼓巷の両側には八つの胡同が並んでおり、どの胡同も古い歴史あるいは面白いストーリーを持っています。
南鑼鼓巷と紫禁城は道一つ挟んだだけですが、違う雰囲気が漂っています。赤い壁と金色の瓦でできた紫禁城に比べて、緑な木と伝統的な庭からなっている胡同は庶民の色彩を表しています。
いつしかこの街はバーが多くなってきました。今ここは三里屯、什刹海に継ぎ、北京で名を知られたバーの街になりました。三里屯のバーはカラフル、什刹海のバーは朱肉の色であれば、南鑼鼓巷のバーはエメラルドの色であると言われるそうです。こういう評価はもちろん三ヶ所の色を言うだけではなく、各街の文化もよくまとめられています。
什刹海―什刹海は北京城より先にある
什刹海は「十刹海」とも書き、元々周りには十のお寺があるから、そう呼ばれるようになりました。元代には「海の子」といい、幅が広くて長い湖でした。明代にはいると、水面が小さくなり、西海、後海、前海というお互いに繋がっている三つの湖になりました。清代から避暑地として名を馳せています。三つの湖は清らかで、岸に植えた柳も風に靡き、後ろの山々も画眉のようで、景色はとても美しく、北京十景の一つとして人々に愛されています。
什刹海は最も北京の歴史様式を表した場所で、周りには古代の官邸と花園が多くあります。例えば、最もよく保存された恭亲王府、醇亲王府など、ここの胡同と四合院は北京の文化風俗を代表し、北京の古い歴史を物語っている場所で、過去には商業を行う場でもありました。
後海は什刹海の中に一番きれいな所で、今南側はバーの街となり、それに対して北側は文化と歴史の遺跡がたくさん残されました。ここの住家は水に面して部屋を建て、まるで江南の水郷みたいです。昔から今まで、ここには多くの有名人が集まり、例えば後海の胡同は昔皇族の人々の住所でした。北京を訪れる外国人の観光客にとって、故宮や北海の他、後海の胡同もかならず足を伸ばす所です。
そのほかにも特徴のある胡同があります。
最も狭い胡同――大柵欄銭市胡同:珠宝市街の西にあり、大柵欄に近い。全長は55メートルで、平均な幅は0.7メートルで、最も狭い所は0.4メートルしかなく、二人が同時に通ろうとすれば、面対面で通るしかできません。
最も幅広い胡同――霊境胡同:北京市西単にあり、東は府右街から、西は有名な商業街である西単北大街までで、棗林大院、西黄城根南街、東斜街、新建胡同、背陰胡同と交差しており、修築後最も幅の広い所は32.18メートルもあります。
最も長い胡同――東交民巷:西は天安門広場の東路から、東は崇文門内大街まで、全長3キロで、北京で最も長い胡同です。
最も短い胡同―― 一尺大街:瑠璃場東街東口の東南側にあり、桐梓胡同の東口から桜桃胡同の北口までです。この胡同は10メートルの長さ、6軒の店しかありません。まるで北京胡同のミニバージョンです。
曲がり角が最も多い胡同――九湾胡同:宣武区の東にあり、東口は舗陳市胡同と繋がり、西口は校尉胡同から出て、全長は390メートル、13の曲がり角があり、北京で曲がり角が最も多い胡同と言われています。
最も古い胡同――磚塔胡同:西四牌楼の近くにあり、北京胡同の原型と言われています。胡同という言い方は元代から始まり、当時は29の胡同ありましたが、唯一記載された胡同はこの磚塔胡同です。
観光案内:
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